私の中のミホシンザン

名前の通りシンザンの息子さんですね。シンザンの代表産駒です。

父親からずっとシンザンの話を聞いていたので、その息子ミホシンザンの走る姿を見るのを

楽しみにしていました。

ミホシンザンは後に、皐月賞・菊花賞を制し2冠馬になり、春の天皇賞を制し引退しましたが

私の中では、新馬戦で走ってた姿が強烈に印象に残っています。

それは、ミホシンザンは4歳(現在でいう3歳)1月の中山の新馬戦でデビューしました。

父親もシンザンのファンだったので当時中山競馬場まで応援に連れて行ってもらいました。

いよいよスタート、初めての競馬場で応援している馬がサラブレッドが9馬身差でデビュー戦を勝ちました。

今では9馬身差とかありますが、当時はそんなありませんでしたから

目の前でそれを見れて、舞い上がったことを今も憶えています。

ミホシンザンの皐月賞後の骨折は本当に残念でしたが

無事にセントライト記念で復帰して元気に走っている姿を見れたのでホッとしたのを憶えています。

はじめて負けたのですが、走っている姿を見れた方が満足でした。

牧場では、柵越しに顔をのぞくと

『食事中だぞ!』

と怒っている表情を見せてくれたのを思い出します。

ミホシンザン・・・ごめんm(_ _)m

ミホシンザンについて

ミホシンザンについて

【生年月日】1982年4月16日

【性別】牡

【毛色】鹿毛

【父】シンザン

【母】ナポリジョオー

【生産者】浦河・日進牧場

【馬主】堤勘時

【調教師】田中朋次郎(美浦)

【生涯成績】16戦9勝

シンザンの代表的な産駒(子供)で、三冠馬(皐月賞、菊花賞、天皇賞・春)です。

デビュー戦で、9馬身差をつけて圧倒的な勝ち方をしたミホシンザンは、皐月賞ではすでに1番人気でした。

皐月賞も5馬身差で圧勝しましたが、レース後、骨折が発覚。誰もが期待をした日本ダービーは骨折のため出場することが出来ませんでした。

その後、復帰戦となったセントライト記念では、1番人気でしたが5着に終わっています。

しかし、次の京都新聞杯では1着に返り咲き、次の菊花賞でも1着となり、二冠馬となりました。

ミホシンザンは、皐月賞の骨折で本来の力を失ったといわれていて、その後のレースではぶっちぎりの強さを見せなくなりました。

5歳になっての最初のレースだった日経賞では6着。このレースの後、二度目の骨折が発覚します。

その後のレースでは、連続で3着という残念な成績で5歳は未勝利で終わりました。

6歳になったミホシンザンはシンザン譲りの強さを見せます。

残り3レースは1着で勝ち続けました。最後の天皇賞・春のレースで三冠馬となり、レース後、疲れが取れずに引退となりました。

天皇賞を最後に引退したミホシンザンは、種牡馬となりました。

父であるシンザンがちょうど種牡馬引退となった時期でした。

種牡馬としては、成績を振るわず名前が残ったのはマイシンザンだけでした。

マイシンザンもすでに種牡馬は引退しており、マイシンザンの最後の産駒はマイティシンザンとなります。