筋肉隆々のミホノブルボン
私の中では、菊花賞が印象に残っています。
3冠がかかってたらかとかではなく
負けたとかではなく
最後まであきらめないミホノブルボンの走りに
目頭が熱くなりました
マチカネタンホイザにかわされズルズル後退するはずが
そこからまた、一生懸命走り、2着に食い込んできた姿は
忘れませんね。
3冠、3冠と当時、人間はマスコミは騒いでいましたが
こういうところをもっとピックアップしてもらいたかったです。
牧場では
『なんだこいつ』
と言いたそうな顔で出迎えてくれました。
引退して1年以上が経っていましたが筋肉はいまだすごかったですね。
栗毛がホントキレイだった^^
ミホノブルボンについて
【生年月日】1989年4月25日
【性別】牡
【毛色】栗毛
【父】マグニテュード
【母】カツミエコー
【生産者】原口圭二
【馬主】(有)ミホノインターナショナル 原口圭二
【調教師】 戸山為夫(栗東)→鶴留明雄(栗東)→松元茂樹(栗東)
【生涯成績】8戦7勝
ミホノブルボンは、原口牧場で生まれました。
母親のカツミエコーは地方競馬の馬で成績も振るわなかった。
父親のマグニテュードの種付け料は30万という安さでした。
ミホノブルボンの評価も低く、700万で取引された馬です。
しかし、栗東の戸山為夫厩舎に入厩し調教をはじめたミホノブルボンは、坂路調教ですごい力を発揮したのです。
ミホノブルボンに1日4本もの坂路調教を行い、ハードトレーニングによって鍛えられたサラブレッドといわれています。
当初、短距離が得意ではないかといわれ、スプリングステークス出走時は、生涯唯一の二番人気となりましたが1800mを独走状態で走りきり、2着に7馬身差をつけての1着という結果です。
ミホノブルボンは、圧倒的な強さで無敗のまま皐月賞、日本優駿(ダービー)の二冠を制覇しました。その後の京都新聞杯では「菊近し 淀の坂越え 一人旅」という実況中継がされたほどの快走を見せました。
菊花賞では、無敗の三冠馬を期待されていましたが、ライスシャワーに破れ2着。その後、脚部不安のため休養となり、再びレースに出ることはありませんでした。
ミホノブルボンにはドラマが多く、当時経営が苦しかった原口牧場を救った馬でもあり、ベテラン騎手であった小島貞博にとってはデビュー22年目40歳にしてクラシック初制覇となった馬でもあります。
また、スパルタ坂路調教を行った戸山調教師は菊花賞の翌年春にミホノブルボンの故障を心配しながら亡くなっています。
ミホノブルボンは、現在、生まれ故郷の原口牧場で種牡馬として元気に過ごしているそうです。